お天道様の下を堂々と歩ける人生を歩むこと
先月末に私の父が65歳の誕生日を迎えました。
しょっちゅう行く大好きな居酒屋さんで簡単なバースデー会をしてお祝いしました。
私もすでに29歳になり来年は30歳に突入、父は後期高齢者に突入。
月日は本当にあっという間に過ぎていきますね。
身近な人の誕生日を迎える度「えっもう?」という感覚に襲われます。
凄まじい勢いで過ぎていく毎日が若干恐怖にも感じますが、その度に充実している自分の毎日に感謝をしています。
さて、そんな父の誕生日会の時に、ある方の話で盛り上がりました。
ある方を仮にAさんとします。
個人情報を出してしまうとマズいので、どんな方かは一切伏せます。
このAさん、あることでしばらく詐欺的な行為を1年近く繰り返していました。
厳密にいうと詐欺ではなく合法なんですが、モラル的にいうとアウトなことです。
まともな人間であればまずやらないような「アウトロー」的なことなんですが、これも人物を特定されると困るので具体的な話は避けます。
父もその詐欺的な行為で迷惑をかけられたことがありました。
そんな詐欺的な行為を1年にわたり繰り返していたAさんだったのですが、ある日突然とてつもない不幸に襲われました。
もしかすると「人」として生きてる上でもっとも不幸な出来事かもしれません。
ほとんどの人がとてつもない悲しみに襲われ死ぬまで立ち直れないくらいの、絵に描いたような”不幸”がAさんを襲ったんですね。
この出来事も言うと個人を特定されてしまう恐れがありますので、濁してしまって誠に恐縮ですが、詳細は控えさせて頂ければと思います。
この流れ、Aさんが詐欺的な行いをしていた1年間とその後の顛末を顧みて、父は確信したそうです。
それは本日のタイトルである「お天道様の下を堂々と歩ける人生を歩まないとAさんのように何かしらの大きな罰が下る」ということです。
そしてこの日の誕生日会で私に「そういう人生を歩みなさい」と助言してくれました。

ぶっちゃけると、おそらく父は人に表立って自慢できないようなことは過去にしてきたと思います。
勿論父に直接聞いたわけではないですが、65年も生きていればそんなことの1つや2つ誰にでもあると思います。
私だって決して、清廉潔白ではないです。
若い頃には沢山の人に迷惑をかけていましたし、積極的には言えないようなこともやらかしてきました。
人間、長い人生の間で苦しい時期もあり、そんな時には色々な意味で決して公言したくないようなこともやらざるを得なかったこともあるでしょう。
父も私も決して聖人君子なわけではないです。
聖人君子には経営なんて出来ませんので、多少汚れた部分も持ち合わせています。
そして、神様も信じていません。
ただ、Aさんの一連の行い人を見て「神様なんてものは信じてはいないけど、因果応報って確かにあるな」と感じました。
そして、私も父の助言通り、堂々とお日様の下を歩ける人生でありたいなと思いました。
話は少し飛びますが、以前一度、私が好きでよく読んでいるサイトとしてこちらをご紹介させていただいたことがありました。
“底辺さん”という方が運営しているウェブサイトなんですが、私が20代前半の1番病んでいた頃に出会った非常に影響を受けたサイトです。
「人生」というものに対して様々な角度から厳しくて的確で非常に個性的な意見を沢山公開されている方で、本当に面白いんです。
私の運営しているこのコラムがかなり辛口なのは底辺さんの影響もあるかもしれません(笑)。
最近は忙しさからあまり拝見する時間がなかったのですが、久しぶりに見てみたら相変わらず面白かったです。
底辺さんは数々の名言を繰り出している方なのですが、特に鮮明に覚えている言葉があります。
人生は99.9%が運で決まる。
残りの0.1%だけに、微調整の余地が許される。
所詮、命など私物に過ぎない。
諦めようが投げようが、本人の自由である。
だが、もしも貴方が現状を不当に感じているのであれば、自分自身の舵を望む方向に1度だけ切ってみて欲しい。
正しい進路に舵を切る為の適切プログラムを日頃から着実に身に付けていれば、航路変更は必ずや成し遂げる事が可能だからである。
底辺さんの言うように、私も人生は基本的に運で決まると思っています。
生まれる場所、親、自分の才能、能力・・・ほとんどのことが生まれた時から決まっています。
むかし「置かれた場所で咲きなさい」という本がありましたが、ほとんどの人は置かれた場所から大きく移動することはできません。
「そんなことないよ、努力でどうにかなるよ」「甘えんな」という声もありますが、そんなこと言えるのは恵まれた環境に生まれたからです。
恵まれてない側の人間は、努力する場所や時間すら与えてもらえないのが現実です。
だから、私は人生は努力だなんていうことは全く思いません。
だいたい、みんなそれぞれそれなりに一生懸命日々を生きていますからね。
しかし、そうは言っても、底辺さんの言うようにわずかは自分でコントロールできる部分もあるし、それがうまく運に乗れば大きな成功もあると私は考えています。
だからこそ、最初の話のAさんのように、人を欺く行為や陥れる行為なんてものはしてはいけないんですよね。
そんなことをしてしまっては残りの0.1%すら手放すことになり、成功なんてものは縁遠くなるどころか、大きな不幸が襲ってしまうのではないでしょうか。
「品行方正であれ」などとつまらないことは思いませんが、せめて誠実でなければいけないと思うんですね。
私の話でいえば、だからこそ、コピーパネルを純正の顔をしてお客様へ黙って出すことなど絶対に出来ないですし、したくないわけです。
それは誠実な行為ではなく、お客さんを欺く行為だから。
そんなことをしてると着実に運が落ち天罰が下ると思っているので、その結果出来たのがうちの今の画面交換のメニュー構成です。
私は誰になんといわれようとも今のメニュー構成は一切変えるつもりはありません。
私はお客様といつもお世話になっているパーツ屋さん、このふたつだけには誠実でいたいと思っています。
今はみんなが疑心暗鬼でギスギスしている、できるだけ企業に騙されないように生活しよう、という風潮の中ですよね。
でも、私は「あそこに行けば安心だ」とリラックスしてオープンな気持ちで来てもらえる店でありたいと思っています。
それでも、たまにこちらが気分が悪くなるくらい疑ってくる人もいますけどね。
そういう方は多分今までの人生の中で良い想いをあまりしてこなかった可哀想な方なんだと思うようになりました。
私は経営者ですので、もちろん様々なことにおいてすべて計算して決めております。
利益が出なければ生活していけないので、潰さないようにしっかりと利益の部分も考えています。
清貧なんて言葉は嫌いだし、それは無能の言うことだとすら思っています。
商売なんていうのは一種の騙しと言われれば「そうかもしれない」とも思います。
でも、私はそうではなくて「この人なら、多少騙されているのかもしれないけど(常識の範囲内で)いくら払っても仕事をお願いしたいな」と思っていただけるのが理想的だと思っています。
そういう風に思っていただくためには、やはりお天道様の下を堂々と歩けるような人生を送らなければいけません。
コピー品を「お客さんにバレなきゃいいや」と黙って出しているような人間に、そんな風に思ってくれる人は永遠に現れません。
人を欺けば確かに一時的に儲かりますが、所詮あぶく銭、お金が無くなるどころかその代償にもっと大きな不幸が待っていることをAさんが証明してくれました。

これが底辺さんのいう「残り0.1%を自分でコントロールする」ことではないでしょうかね。
お客さんに対して誠実に向き合うかどうかは自分で選ぶことが出来ます。
そこには生まれも育ちも学歴も一切関係ありません。
話は長くなりましたが、父の誕生日会で、父から教訓を得た日でした。
そして参加者全員、2軒目のワインバーで記憶を失くして散々な日でした(笑)